【シベリア鉄道一人旅】ウラジオストク - イルクーツク 一日目
2016年 8月11日(木)
朝9時に目が覚めた。同室の人々は既に起きているようだ。二段ベッドから降り、用を足しに車両前方に備え付けられたトイレへ行く。洗面所の蛇口から出る水は勢いが弱く、顔を洗うには適さなさそうだ。持ってきた汗拭きシートで顔を拭き、身支度を済ませた。眠気覚ましに熱い紅茶を淹れて飲む。朝食にしよう。
ベッドによじ登って朝食を広げようとすると、下のベッドに寝転がっているお母さんに何やらロシア語で注意されてしまった。そんなところでものを食べるな、はしたないから、と言っているようだ。そして、窓際に備え付けられた小さなテーブルを指差し、そこを使うよう促した。下のベッドのシーツを手でならし、僕の席まで作ってくれる。
僕は礼を言って、お母さんの隣に座った。流れる景色を眺めながら、ルーブル札ほども大きさがあるビスケット数枚と紅茶を朝食にして、そそくさと自分のベッドに退散した。いつまでも他人のベッドをお借りするのは申し訳ない。
それにしてもすることがない。廊下に出て見える景色はずっとこんな感じ。一面の草原。木。電線。空。以上。といった具合である。最初は珍しがって一時間ばかりぼーっとそんな風景を眺めていたが、それだけ時間が経っても画面の構成要素があまり変わらない。時々小さな街を通り過ぎることもあるけれど、それも一瞬のこと。こんな荒野ではネットの回線も繋がらない。できることといえば、読書くらいのものだった。
これがかなり捗る。世の中で最も読書が進む空間は、もしかしたらシベリア鉄道の中かもしれない。しかし捗りすぎても後が困る。持ってきた本は三冊だけ。しかもそのうち一冊は既にウラジオストク行きのフェリーの中で読み終えてしまっていた。由々しき事態である。まだ旅程の三分の一も到達していないのだ。
残る娯楽は一つ。昼寝だ。そもそもここは座れるようにできていない座席だ。寝るための座席なのだ。寝転がって本を読んでいれば、自ずと眠くなる。それを遮る者もないなら……寝よう。
が、寝ようとしたところで列車は止まった。同室の住人たちが荷物も持たずに部屋を出ていく。靴を履いて窓の外の様子を見ると、他の客車からも人がわらわらと出てきている。ここは途中下車しても大丈夫な駅らしい。
外の空気を吸いに降りた。何と読む駅名なのかはわからない。小さな駅だ。気温は高くかなり暑いが、やはりここも空気はカラッと乾いている。上半身裸になる男性も結構な数見かける。僕にそんな大胆さは無い。ロシア人たちの多くは煙草を吸いに外へ出ているように見えた。煙草を吸っては、吸い殻を線路の上に捨てていた。ここでは別段それがはばかられる行為だとはまだ認識されていないのだろう。皆、普通のこととしてそうしているように見えた。
列車が停まったのを見計らって売り子もホームにやってくる。売られていたのはタッパーにいっぱいのイクラと、その親だったもの、鮭の燻製だ。そういえばイクラってロシア語なんだっけ。さすがにどれも一人で食べきれそうな量ではなく、見物するだけに留めた。
さあまた出発だ。どれだけの間停車してくれるのかはわからないが、徐々に人が車内に戻っていくので僕もそれにならう。再び人をいっぱいに乗せると、列車は動き出した。
同室の小さな女の子は名前をソーニャと言うようだ。母親がその名を何度も何度も呼ぶので覚えてしまった。ただしこれはおそらく親しみを込めた愛称だ。ソーニャが何か悪さをしでかすと、母親が怖い顔をして「ソフィア!」と叱るから、それが本名なのだろう。
まあ、暇を持て余しているのはソーニャも同じだ。母親が目を離している隙に、今度は動物型のビスケットをシーツの上に並べて、自分だけの動物園を作ってみせた。なかなかよくできているけれど、そんなことをしているとまた怒られるぞ。ほら。
しかしソーニャは叱られても泣かない強い子だ。めげずに彼女が何かいたずらをしでかすのは見ていて楽しかった。
それはそれとして昼寝はする。何度もする。シベリア鉄道の一日は長い。文字通り長い。なぜならタイムゾーンを越えて、時々時計の針を戻さなくちゃならないからだ。この日はハバロフスクあたりでモスクワとの時差が減り、時計の短針を一時間戻した。つまり、体感する一日が25時間になったということだ。不思議な気分だ。
一日は長くなったが、腹の空くタイミングは変わってはくれない。同室の皆で夕飯にする。ところがテーブルは小さいから食べるのは代わりばんこだ。下のベッドの住人たちが食べ終えるのを待ってから、上段の僕らは下のベッドを間借りする。そして、なるべく早くご飯を終わらせるのだ。下のベッドの主は、そんなに焦らなくてもいいのよ、と言ってくれているらしいが、あまりくつろぎすぎるのもおかしいだろう。
夕食はカップ麺とサラミ、そして例のビスケット。サラミはポケットナイフで薄切りにしながら、徐々に徐々に食べた。丸かじりしてしまえば日持ちしなくなる。
歯磨きを済ませ、体を清めた気分になってからまたベッドの上でうだうだと過ごすと、気づけば起きているのは僕とソーニャだけになった。下の方からは寝息が聞こえ、ソーニャの母親も枕に突っ伏している。ソーニャと目が合った。
「モジナ……?」
そう言って電灯の方を指差し、紐を下に引くようなジェスチャーを見せると(これがロシア人にもその通りの意味で通じるかはわからないが)、ソーニャはこくこくと頷いてくれた。モジナ、とはロシア語で「〜してもいいか?」という意味だ。どうやら消灯しても構わないらしい。