【ロシア一人旅】ウラジオストクへ入港!(写真多め)
2016年 8月7日(日)
長い昼寝から目覚めた。辛いものをたらふく食べてぐるぐるしていた胃は収まり、すっかりいつもの調子を取り戻していた。
同室の手練れの日本人おじさん(Uさん)によると、この部屋にはもう一人日本からロシアまで渡る方がいらっしゃるらしい。なんと僕の下のベッドにその人はいた。名をTさんといい、仕事をやめてこれから一年ほど世界中を旅する予定なんだそうだ。僕よりすごい方たちに囲まれてしまった。
そんな3人でフェリーのレストランへ行ってみることになった。余っていたウォンで支払えたから、夕飯の値段がいくらだったのかは覚えていない。でも、そんなに美味しくないねと3人で笑い合ったのは覚えている。そんなことも人となら冗談にできるのだった。確かに料理の味自体はそこまでだったが、久々に誰かと食べるご飯は美味しい気がした。バイキング形式で、その中でも僕はカレーばっかり食べた。カレーはどう作ってもそれなりにうまい。
腹を満たした後、「水平線に沈む夕日」というものを見たくて僕らは甲板に出た。
考えることは皆同じようで、夕日を見に多くの乗客がデッキに集まっていた。日が暮れかけるまではわからなかったのだが、水平線のずっと向こうは曇っているようだった。それでも僕らはじわじわ夜が来るのを待ちながら手すりに寄りかかって、色々なことを話した。本当に色々なことを。
3人の談笑は船内に戻ってからも続いた。3000ウォンのアイスクリームを買い、ロビーのソファに座って眠くなるまで語り合った。これからの旅の予定や持ち物、ロシアビザへの愚痴など。「無事日本へ帰ったら何をするか」という話題は誰からも出なかった。そんな感傷的な話をする段階ではない。まだ出発したばかりなのだ。
2016年 8月8日(月)
今日はついにウラジオストクへ着く日だ。バナナとスープという軽い朝食を済ませて外へ出ると、海の上には既に緑色の小島がぽつぽつと見えていた。反対側には陸地も見える。湾に入ったのだろうか。ということはここはもうロシア?
島の数はどんどん多くなり、その上には小屋などの人工物も見え始める。帆を張ったヨットが遠くを走っているし、小型のクルーザーもフェリーのそばを通り過ぎていく。
どこからともなく現れた小さなパイロットボートがフェリーに並走しているのに気づいた。船尾にロシアの国旗を掲げた、可愛らしいボートだ。間違いない。ロシアの海域に入ったのだろう。
遠くに近代的なデザインの、大きな橋が見え始める。あそこが目指すウラジオストク港か。乗客は子供も大人もほとんど皆甲板に出て、そちらの方を眺めた。
そうそう、腕時計をウラジオストク時間に直さなくちゃならない。時計の針を一時間進めると、お昼時は一気に過ぎてしまった。これからはタイムゾーンをまたぐ度、この儀式を忘れずに行わなければ。
韓国の東海へ入港した時とは明らかに空気が違う。カラッとした空気もそうだが、見えてくる建物や船のカラーリングがアジアのそれとは異なっていたのだ。まだ実際に行ったことはないけれど、それがものすごく「ヨーロッパ的」に感じられた。日本とそれほど距離も離れていない場所なのに、不思議だ。
こんなタイミングでもう一組、新たな日本人に出会った。同じく大学生の男二人組だ。なんと僕と同じ県からの旅行者だった。世界は狭い。やはり夏休みを利用してハバロフスクまで行くのだと言う。そんなに魅力的な場所なんだろうか。ハバロフスク。また今度、機会があれば訪れてみよう。
そんなお二人さんとお互いに写真を撮り合った。自分の全身が写っている写真はこれが初めてだ。
白い橋をバックに浮かれた写真を撮ってもらう頃には、フェリーはほとんど港に到着していた。両岸には無数のコンテナやクレーン、それにタンカーなどの貨物船が密集し、山肌に沿ってビルが建っている。
そして見えてきたのは、ロシア海軍太平洋艦隊の軍艦だ。ゴテゴテした艦橋が男心をくすぐる。しばらく無言で画像を貼ります。すみません、こういうの好きなので。
たまらねえたまらねえ、と軍艦に向かってカメラをパシャパシャやっているうちに、港への接岸作業がフェリーの反対側で始まっていた。岸と船体がロープで繋がれ、徐々に地上へ近づいていく。
44時間の船旅を終え、ウラジオストク時間で14時頃、ようやくフェリーは停泊した。こちらも下船の準備をしなくちゃならない。とは言っても持ち物はカバン二つだけだ。パスポートと財布、それに乗船券や各種切符を念入りに確認し、いざ上陸……!
が、ここでかなり待ちぼうけを食らった。まず下船するのはビザのいらないロシア人たち。そして団体客。そうして順番待ちをするうちに、僕ら個人旅行者が船を降りる頃には16時になっていた。まあ無事に到着できたのでよし。
ちゃんと通用するか若干の不安があったビザも問題なく使え、パスポートに入国のスタンプが押される。港町らしく、船をかたどったデザインがかわいい。
UさんとTさんと僕はなんとなく同じタイミングで下船し、なんとなく同じ方向へ向かって歩いた。フェリーのターミナルを出るとすぐに鉄道の駅があり、何かの記念ごとでもあったのか、プラットホームの上では小さな楽団が賑やかな曲を演奏している。道端にはアイスクリームの屋台。なんだか晴れやかな気分になってきた。いいぞいいぞ。
車やバスの行き交う大きな通りに出て、ここで僕は初めてロシアの横断歩道に出くわした。ロシアの横断歩道は黄色と白の縞模様だ。信号が青になると、そこを渡ろうとした幼稚園児くらいの小さな女の子が思いっきり転け、その母親がその子のお尻を叩きながら思いっきり叱るという強烈な場面に遭遇した。僕はTさんと顔を見合わせ笑うしかなかった。
大通りを渡るとキリル文字で「スーパーマーケット」と書かれたわかりやすいスーパーがあり、そこで二人と別れた。TさんはATMを見つけ早速ルーブルを入手し、Uさんは宿を探しにどこかへ消えた。ここからは完全に一人だ。まずは寝床を確保しよう。
宿を確保する
とはいえウラジオストクの宿は事前に日本で予約しておいた(Booking.comを使いました)ので、とりあえず今日はそこへ向かうだけでいい。坂道を登り、公園を横切ったり、裏通りを何度も往復した末、ようやく見つけた。公園にレーニン像が建っているあたりはさすがロシア。
安宿の料金は2泊で1500ルーブル、およそ3000円。ロシアにはもっと安い宿泊施設もあるが、まだまだ僕は初心者なのでちょっとだけいい宿にした。この値段でも受付のお姉さんにはなんと英語が通じる。外から見ると一見ホステルだとは思えなかったが、内装はとても綺麗でまだ新品の匂いがする。案内された二段ベッドにはコンセントも電気スタンドもあるし、シャワールームも併設されていた。申し分ない。ただ、ベッドに前の宿泊者の匂いが染み付いているのには参った。
通信手段を確保する
寝床の心配はもういらない。バックパックを置いて再び外へ出る。次にすべきは通信手段の確保だ。つまりSIMカードを買いに行こう。
ロシアにも日本と同じく、大手携帯電話通信会社が三つある。僕はそのうちの一つ、MegaFon(メガフォン)の店に入った。緑色の看板がトレードマーク。
店内は明るく、全体的に白い。壁にはガラス越しに様々な携帯電話がずらりと並んでいるが、僕が欲しいのはSIMカードそのものだ。早速店員のお姉さんに聞いてみる。ブロンドの髪を後ろで一つにまとめた、キリッとしたお姉さんだ。
「SIMカードが欲しいんですけども」
「どの?」
とりあえず英語で話しかけてみたら、お姉さんからも同レベルの英語が返ってきた。安心する。そしてぶっきらぼうに、各種プランの書かれた紙を手渡された。
「……9ギガでこの値段?!」
「そう」
驚いたのはその安さだった。通信量9ギガバイトのプランで150ルーブル、つまり300円ほどだったからだ。見せられた中ではそれが最も通信量の少ないプランだった。その隣は20ギガのプランだったが、この旅でそんなにネットを使う予定はない。
「これで1ヶ月は充分持ちますよね?」
「ええ」
「ええと、ここではもちろん通じるだろうけど、例えばハバロフスク、イルクーツク、モスクワとかは……」
僕は今後鉄道で通りそうな都市の名前を列挙していった。そこでも使えなきゃ意味がない。
「メガフォンならどこでも通じますよ」
「ハラショー……」
契約を即決した。ロシアの通信費は安いとは聞いていたけれど、これほどとは思わなかった。身分証明書としてパスポートを控えられ、契約書にサインをしたら、念願のSIMカードがその場で手に入った。レシートを見たところ謎の料金(おそらく手数料)が追加され、計270ルーブルになっていたがそれでも安すぎる。500円ちょっとで9ギガ?
……いや、日本の通信料が高すぎるのか。
僕はお姉さんに精一杯のスパシーバを伝えて店を出た。お姉さんは終始ニコリともしなかったけれど。早速SIMカードをスマホに挿れると、まずはロシア語で書かれていて全く読めないメールが届き、ネットに繋がった。契約完了のメールだったんだろう。テザリングし、これでいつも使っているiPhoneが使用可能になった。LINEも復活である。ウラジオストクに着いたことを家族や友人に試しに送り、散歩してみることにした。
さあ、観光客らしく動こう。