【シベリア鉄道一人旅】モスクワでの一夜
2016年 8月19日(金)
赤の広場から裏通りに入り五分ほど歩くと「いかにも」な観光客の姿はめっきりなくなるから不思議だ。少なくとも辺りに団体客は居ない。行き交うのは身軽な旅行者と地元のロシア人。キリル文字を書いたボール紙を掲げ何やら訴えている老若男女が数ブロックごとにちらほら立っている。ものも言わずにただ立って、仲間内で身を寄せ合っているだけにも見える。
(この時は彼らが何を主張しているのかわからなかったが、帰国後たまたま視聴したドキュメンタリー番組によるとロシアには経済危機の煽りを受け、住宅ローンの支払いを銀行側から増額させられたりして返済できなくなった人々が相当数存在するという。僕が目にした彼らもその被害者の一部だったのかもしれない)
午後2時を過ぎ、宿へのチェックインが許される時間になった。列車を降りた時からずっとこの時を待ち望んでいた。広場からは10分少々歩いただろうか。予約していたのはHostel Fasolという名の安宿。通りに目立つ看板などは出ておらず、白いレンガ造りの建物を一度くぐらないと出入り口がわからなかったりして入るまでに少し勇気が必要だったものの、ドアの内側は宿泊客でかなり賑わっていた。先にチェックインを待つ利用客が二組ほど並んでいたくらいだ。
フロントのお姉さんは英語が通じる。数日前にした予約も問題なく通っていて、料金は既にクレジットカードで支払われていた。3泊で2295ルーブル。当時のレートで四千円しないくらいの安さだ。
フロント横で靴を脱ぎ、使い捨てのスリッパを貰って入場した。お姉さんが宿の中をざっと案内してくれた。共同のキッチン、トイレ、シャワールームに宿泊エリア。その間「大丈夫? 疲れてない?」と何度も聞かれた僕は相当やつれているように見えるらしい。まあ、疲れているのは本当だ。とにかく早く数日ぶりのシャワーを浴びたい。
ホステルと言うだけあって部屋は二段ベッドが三つか四つ置かれているような男女共用の空間だ。内装は真新しく、ベッドにカーテンが付いているのが嬉しい。コンセントも枕元に完備されている。枕も布団もシーツは暗い茶色。安宿のシーツに真っ白なものが選ばれることはほぼない。
僕の寝床は二段ベッドの上側だった。早速バックパックをそこへ放り出し、タオルとシャンプーと着替え、それに貴重品袋だけを持ってシャワールームへ向かった。熱い湯はすぐに出た。勢いもいい。生き返る。体じゅうを清め終わりさっぱりしたTシャツを着る頃には、ゆうに三十分ほどが経過していた。
ベッドへ戻り、マットレスに尻を沈めて、少しの間だけ体を休ませた。その隙にSNSへ生存報告を載せておく。友人にもモスクワへ着いたことを伝えた。日本が何時なのかはいまいち想像できていない。ここよりも数時間進んでいることは確かなので、たぶん夜なんだろう。即座の返信は期待しない方がいい。モスクワっぽい写真を何枚か送るだけ送って(大丈夫、宿にはWi-Fiがある)再び行動することにした。夕飯のことも考え始めなくちゃならない。なんだかんだで時刻は午後3時半だ。
暑いのか涼しいのか微妙な気温に迷いつつジャケットを着たところで、はす向かいのベッドを占拠するお姉さんに呼び止められた。ハンガーにタオルをかけ、それをベッドに幾つも吊るして干している。ドライヤーで乾かしたばかりのようなふわふわした髪を見るに、彼女自身もシャワーを浴びたてのようだ。その長い髪が何色だったかは覚えていない。こんな大事なことは何よりもメモしておくべきなのに。ブロンドではなかったと思う。
「今から外に出るの? 雨が降るらしいけど」
それでこの人は室内に洗濯物を干していたのだ。天気予報なんか今まで気にしていなかった。ありがたい情報だ。窓から外を覗くと、確かに黒っぽい雲が空に流れ込み始めている。
「本当だ。でも気にしないよ」
「気にしないの? マジで? 傘は?」
「持ってない」
「ああ、そりゃいいね。予報だと雷も鳴るみたいだから。傘使わないならそれでいいかも。でも濡れるよアンタ」
気をつけてね、と素っ気ない忠告を頂き、ボディバッグを提げて外に出た。まだ天気はもちそうだ。身軽になった体で再び赤の広場方面へ向かう。
やたら主張の激しい電光掲示板を持つ薬局や、アパレルショップが立ち並ぶ住宅地を抜け、いよいよ観光地らしい街並みに差し掛かったところで無視できない量の雨が降り始めた。ちょっとシャレにならない、土砂降りである。あのお姉さんの言うことは正しかった。午後は部屋の中でおとなしく過ごすのが賢いやり方だったかもしれない。
建物は道沿いにずっと連なっているのだがいわゆる「軒下」みたいな構造がやたら少なくて、雨宿りの逃げ場所を探すのが大変だった。小走りに横断歩道をいくつか渡り、やっと見つけたのがグム百貨店のショーウインドウに突き出た、ロゴ入りの日よけ幌だった。何組かがそこで雨をやり過ごしている。僕もその中の一つ、誰も使っていない角の幌へ逃げ込んで、いつ止むかわからない雨をしのぐことにした。
雨はどんどん強くなる。制服を着込んだグム百貨店の係員はえんじ色の傘をさし、えんじ色のポンチョを羽織って高級車を誘導している。角の向こうで雨宿りをしているカップルが、雨足に乗じて距離を詰め、日本の路上ではお目にかかれないタイプのキスをしている。公衆の面前でよくもまあ。なんとなく居心地が悪くなり、百貨店の中へ入ろうかと思ったが最寄りの店舗はエルメスだ。ユニクロのTシャツで入っていい空間ではないだろう。
ジャケットのポケットに手を突っ込んでしばらく立ったままでいると、百貨店の壁に電飾が灯った。石造りの窓枠に沿って、橙色の電球が無数にデコレーションされているのだ。ブロックごとにぽつぽつと揃って点灯していく。これが綺麗だった。これを見られただけでも外出した価値はある。
雨が弱くなった瞬間を見計らって、僕は百貨店の中に入ってみた。高級そうな店舗は避けて、大きく開かれた出入り口から入場した。金属探知機のようなゲートをくぐる必要はあったが、特にセキュリティが硬いわけではなかった。鞄の中身まではチェックされず、髪と肩をやや濡らした人間でも誰かに止められることはない。
が、店内はその外見に相応しく煌びやかなものだった。
白い石造りを基調とした内装。アーチ状の天井は高くガラス張りで、中央の噴水には丸々太った本物のスイカがこれでもかと浮かべられている。並ぶ店は高級ブランド店に敷居の高そうなレストラン、何軒かのコーヒーショップ。貧乏旅行者が来ていい場所ではないのかもしれないが、人の流れと内装を眺めているだけでも楽しい。
とはいえ入らせてもらったからには何か経済活動をしないとグムに悪い。この格好で覗けそうなのは本屋くらいのものだろうか。
記憶がおぼろげだが、確か本屋は最上階である三階にあった。現代風な明るい店内で、本や雑誌はもちろんのこと、文房具やボードゲーム、ガラスケースの向こうにはカメラや天体望遠鏡なんかも陳列されていてとても居心地がいい。積まれた本のほとんどがロシア語表記なのは当然なのだが、表紙を見ながらパラパラめくるだけでも好奇心を満たせた。Call of Dutyのボードゲームにはかなり物欲をそそられたのだけれど、かさばるし、予算を工面するのが大変だしで、泣く泣く諦めた。
ここでは洒落たイラストが走り描かれた絵ハガキを数枚と、オレンジ色のノートを購入した。しめて1040ルーブル。宿代を除けばこの旅程の中で最も奮発した出費だ。
絵ハガキは土産用だった。この先もまだ移動は続く。ロシアに居るうちに何か大きな土産物を買うのは得策ではない。ハガキなら手紙として現地から送ることができて荷物にならないし、自分がそこに居た何よりの証になる。今夜は雨が続きそうだ。宿へ戻って手紙を綴りながら過ごすのもいいかもしれない。
噴水の周りには出店が並び、アイスクリームやらクワスやらを売っている。喉の渇きをクワスで癒すことにした。小さいサイズが50ルーブル。立地の割に常識的な安さだ。
ベンチに座って一服していると、胸ポケットに入れていたiPhoneが振動した。メッセージアプリに連絡だ。イワンからの連絡だ。イルクーツク行きのシベリア鉄道の中で出会ったイワンからだ。
「やあ! モスクワに着いたんだね」
宿で更新したフェイスブックを見て気づいたんだろう。そうだ。イワンはモスクワの人間だった。
「赤の広場から地下鉄で15分くらいのところに住んでるんだ。もしよかったら一緒に夕飯とお酒でもどう? Gも一緒に居るよ」
Gというのは同じくその時に出会ったベルギー人だ。この二人は一緒にロシア中を回っていたのだった。それにしても嬉しいお誘いだ。初めて訪れた街の一晩目というのはどこであっても心細いもので、一緒に過ごせるならとてもありがたいし、とても楽しい夜になるに違いなかった。二人に何の怪しさもないことは、鉄道内で過ごした際にわかっていた。
なので二つ返事で誘いに乗った。感謝の言葉も忘れずに。
「じゃあ20分後くらいにそっちへ行くよ。待ち合わせ場所は……」
と落ち合うスポットを決め、そこで時間を潰すことにした。幸い雨は止んでいる。赤の広場にイベント用の球体型スクリーンが設置されたところだったから、そこを目印にした。30分くらい待つと、Tシャツにハーフパンツとリラックスした姿のイワンが現れた。初めて会った時には身につけていた度の強い眼鏡を今日はしていなかったから、記憶の中の彼と一目で一致させるのは難しかったが、向こうが先に気づいてくれた。赤の広場に一人で居るアジア人はそうそう居ない。
やあ、と簡単に挨拶を交わして、まずは互いの無事を安心した。久々に話相手ができただけでも嬉しかった。ベルギー人はイワンの家で待っているらしい。
「それで。何を食べたい? リクエストはあるかな。候補は決めておいたんだ」
そう言って、イワンは持参したiPadでプレゼンを始めてくれた。チキン、トマトのパスタ、きのことクリーム。それぞれのイメージ画像を見せてくれるのだが、きのことクリームだけ雑な日本語のテキストが添えられている。わざわざそのように編集してくれたらしい。せっかくなのできのことクリームを指差した。実際には何だってよかったのだけれど。
「これがいいな。どこで食べるの? ここから近い?」
「僕が作るよ」
「えっ」
「僕の家で食べようと思って。スーパーに材料なかったらごめんね」
てっきりどこか店に集まって食事するものだと思い込んでいたので、この提案には驚きを隠せなかった。だが途端に嬉しくなった。こいつは家に招いても平気だろうと彼らに思われたことも嬉しかったし、何よりこの旅行中に現地人の普通の暮らしを覗くチャンスを得られるなんて思っていなかった。これは貴重な体験になるぞ、とわくわくした。大丈夫だ。イワンには腕の太さで負けているが、背の高さでは勝っている。何かがおかしいと感じた時は走って逃げればいい。
地下鉄に乗り、イワンの最寄駅へ向かう。長い長いエスカレーターを下る間彼は振り向いて、これは冷戦時代に核シェルターとしても機能するよう地面深くに作られたのだと説明してくれた。現地人が言うと説得力が違う。
「でもさすがにどこも古くなってきてね。至るところで工事してる」
「僕がさっき乗った時もアナウンスが聞こえなくて困ったよ。ドアの勢いがこう……すごいだろう?」
「そう、僕らもわからなくなることがあるね。地下鉄に乗る時は何番目の駅で降りるか事前に確認しておかなくちゃだめだよ」
そうアドバイスされたのに僕は赤の広場からイワンの最寄駅までいくつ駅を過ぎたのかもう覚えていない。
ただ駅名は記録していた。Universitet駅。その名の通り大学がそばにある。駅名になる程の大学だ。彼がそこの学生なのかどうかは、聞くことすら畏れ多くて、判然としなかった。
イワンはそのアパートに母親と二人で暮らしているという。駅からは徒歩で5分もかからなかっただろうか。「ソ連時代の建物だから、外見は悪いんだけどね」と彼は言った。「部屋は案外綺麗だよ」
なるほど、やけに四角いコンクリート造りのアパートは黒くすすけていて、かなり年季が入っていると一目でわかる。冬は凍るに違いない鉄製の門を暗証番号で開け、轟音を立てるエレベーターに乗り、階を上がった。ちらほら目に入るドアノブの付いていない部屋は盗難対策とのこと。イワン宅のドアにはドアノブがあった。玄関では靴を脱ぐのがこの家のルールのようだ。
「久しぶり、無事に着いたか? モスクワの治安は悪いからな!」
冗談交じりにそう言って迎えてくれたのは例のベルギー人だった。無事なのはお互い様だ。彼曰く、今日が二人の旅程の最終日らしい。翌日にはベルギーへ向けて帰るのだと言う。そんな大事な日にお邪魔してよかったのだろうか。そう尋ねると、お前はここにいるべきだ、最終日だからこそ人数は多い方がいい、と存在を許された。
イワンは食材の買い出しに出かけ、ベルギー人と僕が部屋に残された。それと綺麗な飼い猫が一匹。カメラを向けると途端に動き出す。
それにしても本当に綺麗な部屋だ。ソ連じみた外見の中がこうなっているとはちょっと思えない。民家なので隅々まで入念に観察するのはやめておいたが。
特にいいのが窓からの景色だった。路面電車の駅、大通りと向かいのアパート、少し遠くにスターリン様式の大学が見える。これこそここに来なきゃ見られない光景だ。カメラを取り出すと、あ、俺も撮っとこう、とベルギー人も立派な一眼レフを引っ張り出した。
話題は尽きない。これまでの旅行の話で一晩でも明かせるからだ。それが今二人分あるのだ。僕がした話はここまで書いてきた通りだから割愛しよう。
ベルギー人は旅にラップトップを持ち込んでいた。その写真を見せてもらうだけで面白い。旅程の前半のアルバムはかなり物々しい。
「これはクリミアに行った時の写真」
「クリミア」
クリミアといえば事実上のロシア軍とウクライナとの戦闘が勃発したことが当時でも記憶に新しい紛争地域、という認識でいた。それはこれを書いている今でも変わらない。
「一般人でも入れるんだ。危なくなかった?」
「うん。軍用ヘリがいつも飛んでいて、ロシア艦隊が海に浮かんでいて、生まれて初めて浮上する潜水艦を見た以外はフツーだった」
それを「フツー」とは呼ばないだろう。とはいえ危ない目に遭うことはなかったそうだ。その時の観光の目玉、「ヤルタ会談の円卓」を見せてくれた。そうか、教科書で習ったあのヤルタはクリミアにあるのだ。
その後、グーグルマップを開いて日本の説明を求められる下りがあった。こういうシーンでは毎度のこと、自分が自分の母国について本当に知らないことだらけだなと実感させられる。北は北海道、南は沖縄までの細長い領土で、流氷も珊瑚礁も観測できる立地にあるということは大きな特徴として紹介できた。
「めっちゃ遠いな」
「遠いよ。ここに来るまで二週間かかったからね」
「もしかしてここもロシア? こいつらマジで頭おかしいな……」
そう、日本のすぐ北はロシアだ。ウラジオストク、サハリン、そしてカムチャツカ半島。意外なことに、彼ら二人は鉄道でウラジオストクまでは行ったことがないのだと言う。
そうしてロシアと日本の境界あたりを注目していると、第三者の目にも触れるのが例のエリアだ。
「このマップの白いとこは何なの?」
「あー、そこはですねえ……」
北方領土、という概念を英語でどう伝えるべきか悩んだ。うやむやにするのは健全でないし、真摯な対応ではないと感じたので率直にロシアとの係争地であると告げた。ノーマンズランドという語が100%当てはまる状況かは自信がなかったものの、彼にはそれで伝わったようだ。国境線の問題はヨーロッパ人である彼にとっての方がより身近な話題なのだろう。イワンが不在のタイミングで話題に上がってよかった。
それにしてもこのPCはロシアの回線で動いているのだろうけれど、グーグルマップ上の北方領土に何の表記もされていない(2016年時点での話です)のには驚いた。ロシアバージョンならもっと大々的にキリル文字で主張していても似合いそうなものを。
イワンはそんな折に帰ってきた。この話題は切り上げておきたかったが、彼はなお続ける。
「外交上のエラーか?」
「それはまあそうなんだろうけど、先の大戦のレガシーだよ。結局は戦争の名残りだね」
「だったら俺が外交官をやってやろう。ベルギーが日本とロシアの『調停』ってヤツをな。おーい! ヴァーニャ!」
キッチンへ向かうイワンを愛称で呼び止めて、彼は力ずくの外交を見せてくれた。
「こいつにアイランズを返してやれよ!」
イワンも出し抜けにそんなことを言われて何が何だかわからないという顔をした。僕の頭の中は「こりゃヤベえな」の一色だったが、完全な第三者から見ればこの程度の軽い問題なのかもしれない。その後、イワンにもことの顛末を説明した。北方領土の存在自体は知っていたようだ。互いに攻撃的になるようなタチではなかったため、幸いにも穏やかな意見のやり取りで済ませることができた。とはいえベルギー人の彼のように、ジョークにしてしまえるほど豪胆ではない。言葉選びには慎重になった。
「きのことクリーム」は売り切れだったらしい。こっちは突然家にお邪魔して、更に甘えてご馳走になる側だ。ご飯を頂けるだけでもありがたいのだからメニューはなんでもよかった。代わりにチキンを焼いてくれるそうだ。ベルギー人は最後の晩餐にトマトのパスタを注文していた。ベジタリアンというわけではないのだが、肉を積極的には摂りたくないのだそうで。
料理が出来上がると、ガラスのテーブルには一体どこから持ってきたのか、ロシア国旗が真ん中に置かれた。お祝いムードだ。飲み物は例の赤いベリーのジュース。「チキン」は焼くだけのキットだとイワンは謙遜していたが、具の詰められたとても立派なものだった。野菜も添えてバランスもいい。
ちょうどこのテーブルが丸かったので、先ほど見せられた写真のこともあって「ヤルタ会談みたいだね」と呟くと、ベルギー人は真面目な顔で遮った。
「いや、これはモスクワ会談だな。『日本、ロシア、ベルギー(彼は本当にこの順番で国名を挙げてくれた)はシベリア鉄道走破の末、モスクワに集結。会談を開いた』どうだ?」
皆笑った。「それで、一体何を決めるの?」とイワンが聞くと、ベルギー人は答えた。
「決まってるだろう。世界を俺たちで分割し直す。お前はアイランズを返してやれよ!」
危ないジョークだが、やはり皆笑った。
チキンは大変美味しかった。空腹だったのでペロリと平らげると、イワンは冷蔵庫の下から大きなスイカを取り出した。グム百貨店で見かけたような、ラグビーボール状に楕円の品種だ。
「こいつはスイカジャンキーでね」とベルギー人がイワンを差して言う。
「スイカを食べるとご機嫌になるんだ」
「うん。みんな四分の一ずつでいいかな?」
それは多すぎる! もう一食ぶんじゃないか! と二人で抗議したがイワンは既にその四分の一を切り取っていた。結局その大きな一切れを更にスライスして、三人で分け合った。さっきの会話をまだ引きずって、「今は世界よりもスイカを分け合うとするか」とベルギー人が独り言のように呟いた。
その後、ベルギービールを一本空け、ベルギーのチョコレートまでつまみながら、列車の一室で興じたように「ウノ」をプレイした。酔いの回った頭でカードのやり取りをしながら、これは青春なのかもしれないなと思っていた。心の底から楽しかった。
オリンピックのボクシングの試合を観ながら、カードを配り、捨て、配っては捨て、何周か終えるともう深夜と呼べる時間になっていた。窓の外は素晴らしい夜景だ。
そろそろ帰りなよと言われる気配もないが、彼らにとってはこれが旅の最終日なのだ。僕が居ると始められない二人だけの話もあるかもしれない。そう思うとほんの少しだけ申し訳なさを覚えていた。
「泊まっていけばいいのに」
「シャワーもあるぞ」
そう言ってくれたが宿も取ってあるし、バックパックもベッドの上に置きっぱなしだったから、それを口実にお暇することにした。バックパックの中に盗まれて困るようなものは大して入ってはいないのだが。
「帰り方はわかるのか?」と心配するベルギー人に「おそらく大丈夫だよ」という意味で「プロバブリー」と返すと、「おそらく? おそらくだって?! こいつは完璧な答えだ!」と爆笑されてしまった。「多分(メイビー)」という表現は会話で使うなとはよく言われているが、プロバブリーもどうやら避けたほうがいいようだ。
そんなわけで余計に心配させてしまい、「送ってやれよ」という彼の一言でまたイワンが案内してくれることになった。
「見ろよ、こいつは小心者なんだ。これが何かわかるか?」
イワンの手に握られている黒い携帯電話大のガジェット。スタンガンだ。実物は初めて見た。
「モスクワじゃ必要なんだよ」と、イワンは試しにバチバチと虚空で放電して見せた。それをケースにもしまわず、彼はハーフパンツの後ろポケットに差し込んだ。
ベルギー人と別れ、軋むエレベーターに乗って、夜のモスクワへ繰り出した。駅に向かって歩く間、イワンはモスクワで注意すべきことを教えてくれた。明らかな酔っ払いを見たらスマートフォンを隠すこと。突然何か話しかけられても何も答えないこと。夜中は一人で出歩かないこと。駅前の売り子に気をつけること、彼らは身分証を提示できない人間に向けて商売をしているから。
「それで、できればスタンガンを持つことだね」
本当に大丈夫? と心配そうなイワンと駅の入り口で別れた。さすがに赤の広場方面まで着いてきてもらうのは心苦しい。そうすると今度はイワンを一人で帰らせることになってしまう。
じゃあ、と軽く握手をして、そっけなく別れた。ありがとうイワン。僕はこの心優しいロシア人を一生忘れないだろう。
地下鉄に乗り、暗い夜道を一人で歩いて無事宿に戻った。ベッドに潜り込めたのは、深夜2時過ぎのことだった。