ひとりでもにんげん

旅好きなのにインドア派、一人でどれだけ遊べるか

【ロシア一人旅】リストビャンカでの過ごし方(写真多め)

2016年 8月15日(月)

久々の一人部屋だというのに早く目覚めてしまった。昨日の昼寝がやはり効いたか。窓の外は快晴に近いいい天気である。顔を洗い、髭を全部剃って、再度の長丁場に備えた。今夜はまたモスクワ行きのシベリア鉄道に乗るのだ。

 

そう、モスクワだ。僕はイルクーツクでの反省を活かし、モスクワの宿をここで押さえておくことにした。ネット全盛期の時代、僕のような初心者が何の事前準備もなしに旅行をするのは無謀だとわかったのだ。イルクーツク駅での一夜は間違いなく心に残る経験となったが、その瞬間の心細さといったらなかった。モスクワのような(おそらく)大都市で、その時と同じような行動をできるかといえばそれは難しい。

 

Wi-Fiの繋がるうちに検索すると、モスクワの安宿はたくさん見つかった。モスクワへ到着するのは19日、ベルリンへ向けての出発は22日。つまり3泊分。一泊750ルーブル、およそ1500円の良さげな宿を赤の広場周辺に見つけ、そこを予約した。もっと安い宿もたくさんあったが(500ルーブル未満とか)、安すぎるのもまた不安だ。1500円で確かな寝床を確保できるならその方がいい。

 

宿を吟味し、予約を決心する頃には一時間が経過し、お腹も空いてきた。昨日買った木イチゴを何粒か口に入れて、ホテルのレストランまで向かうエネルギーにした。

 

レストランはホテル本館の中ほどの階にあった。中国人の団体旅行客がやんややんやとやっており、あとはロシア人の家族が何組か、一人でいるのは僕だけだった。朝食はビュッフェ形式で、腹を空かせた貧乏旅行者には大変ありがたい。白いパン、丸いパンやチーズ(プロセスチーズではない、トムとジェリーに出てきそうなあの穴あきチーズ)、鶏肉、ハム、ふかしたじゃがいも、雑穀のケーキのようなもの、フルーツに、そしてこれは恐る恐るだったが、ミルク粥を一皿選んだ。これがいわゆるカーシャというロシア料理だろう。白くて、ドロドロとした謎の物体。

 

一人には大きすぎる窓際の丸テーブルに陣取り、朝食を始める。ちゃんと白いテーブルクロスのかけられた豪勢な席だ。まずはスプーンで一口、気になるカーシャを口に含んでみた。これが見た目に反して美味しい。味はホットケーキを焼く前のものを指ですくって舐めてみた感じ、あれに近い。そう思うと見た目もそれに近いように思えてきた。ミルク粥という字面から身構えてしまうのだが、甘くて美味しかった。なるほど、魔女の宅急便で劇中黒猫のジジが食べていたのもこれだったんだな? 僕はその味を気に入ってしまって、結局おかわりを二回した。食後のコーヒーを飲む頃には、今日一日行動するだけの養分をすっかり蓄えていた。

 

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レストランのバルコニーから外を眺める。気持ちのいい朝だ。チェックアウトは正午。身軽に動けるうちに外を少し散歩しよう。

とはいえあまり遠くまでは出歩けない。船の並ぶ湖畔を歩いて、写真を何枚か撮るなどした。晴天の下では湖の水が透き通って本当に綺麗に見える。

 

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シベリアのスズメ。日本のとは少し体色が違う。温かさを求めてか、何羽ものスズメがこのように地面につぶれていた。鳥のくせに。

 

それから早めに済ませておくべきことのひとつに、帰りのバスチケットの入手という任務があった。まず何時にバスが出るのかも知らないし、いつここを経つかも決めていない。全てはそのバス次第だった。

バスのチケット売り場らしき建物はホテルの真正面にあったから、任務はすぐ達成できた。売り場担当の恰幅のいいおじさんと、ほっそりとしたお姉さんはさすが観光地というだけあって簡単な英語が通じ、対応もロシア人らしくなくにこやかだった。「イルクーツクまでのチケットを一枚」と頼むと、「何時発がいい?」と手慣れた動作で一枚のリストを寄越してくれる。16時半発。これがちょうどいいだろう。指を差して「お願いします」とロシア語で依頼すると、お姉さんはニコッと笑って、すぐ発券してくれた。運賃は120ルーブル

 

ホテルに戻り、荷造りを始める。昨日干しておいた洗濯物は概ね乾いていた。一部の靴下などがやや湿っていたので、ドライヤーで無理矢理乾かした。そんなことをしているうちに気づけば11時過ぎだ。間に合え。できればシャワーもしておきたいんだ。

 

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荷造り前の虚無。衣類をバックパックに詰め、食料品をサブバッグにまとめ、ゴミをビニール袋に入れてくずかごの横に失敬し、準備完了。なんとかギリギリシャワーも済ませた。これから丸三日間、またシャワーのない空間に缶詰になるのだ。体は清めておきたかった。

 

チェックアウト時に例のレギストラーツィアを受け取り、パスポートも返ってきた。さあこれからは完全フル装備、重いバックパックを背負っての移動だ。できれば体力は温存したい。動かずに楽しめるレジャーは無いものか。

 

すっかりお馴染みとなった散歩コースを僕はまた歩いた。相変わらず写真の撮りがいがある景色が続く。まあ後で見返してみると、同じような画像が並ぶだけで辟易としてしまうものだが。

それでも時々、ハッとさせられる一枚が素人にも撮れるもの。それを狙って、カメラを振り回し続けた。

 

そのうちに不思議な現象が起こり始めた。吐いた息が白く濁るのだ。気温が低いわけでもないのに。むしろ日差しで暑いくらいなのに。と思うと、辺りは突然白い霧によって覆われ始めた。遠く、湖の上を走る船も、水面に浮かぶカモメも、白く煙って見えなくなっていく。

 

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停泊している船の周囲にはこうしたいい味を醸し出した親父たちが立っている。おそらく船長なのだろう。「写真を撮ってもいいか」と片言のロシア語と身振りで伝えると、「仕方ねえな」という風に不愛想に快諾してくれるのだ。そんなことをしているうちに、一人の船長から声をかけられた。

 

「俺の船に乗らないか」

 

どうやらそう言っているようだ。そうか、この船たちはやはり観光客向けの遊覧船だったのだ。いくらで乗せてくれるのか聞くと、どうやら通じたようでロシア語で答えてくれる。だが僕はロシア語の数字は1から3までしかわからないのだ。メモ帳とペンを渡すと、こちらの意図を察してくれた。また「仕方ねえな」という風に、クルーズ代を書いてくれた。

 

「500ルーブル

「そうだ」

「……400にならない?」

 

つい貧乏根性を発揮してしまった。500ルーブルでも充分安いと思ったが、こう旅を続けていると値引き交渉するのが癖になってしまう。

 

「それじゃあ駄目だ」

「わかった。500ルーブルで乗ろう。ちなみにクルーズ時間は?」

 

船長は指を1本立てた。一時間か。一応確認する。メモ帳に数字を殴り書く。

 

「1時間ってのは……60分?」

「そうだ」

 

それなら安心だ。バスの時間にも充分間に合う。そして親父は指を8本上げて見せてこう言った。

 

「だが最低でも8人は集まらないと出航できない。それまで船で待ってろ。お前は一人目だ」

 

船に乗るよう促され、デッキに設えられたベンチに腰を落ち着けた。白と青の船体がかわいい。重いバックパックも床に下ろし、船の上をウロウロした。例の霧はどんどん濃くなって、港一帯を白くする。

 

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乗客が集まる頃には小一時間が経過していた。だが急ぐ旅でもない。その分重い荷物を背負わずに済む。僕の他に乗船したのは全員がロシア人。子供もいれば老人もいた。よくよく考えてみれば今日は月曜日だ。こんな時間から遊覧船に乗れるのは、外国人の旅行客か、子供か老人くらいのものだろう。納得のメンバーだ。

 

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船はゆっくり岸を離れ、左に向かって舵を切る。方角で言えば東だろうか。霧の塊から逃れるように進んだ。

 

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船が走ると体が冷え始めた。ジャケットを羽織り、ジッパーを喉元まで上げる。それを見かねたお婆さんが僕に毛布を貸してくれようとした。それほどは寒くない。僕は笑って断った。そうだ、吸収したロシア語をこのへんで使ってみよう。僕はお婆さんに話しかけてみた。

 

「見てください。カモメがいますよ」

「そうねえ。カモメ、カモメ……。あなた、カモメは好き?」

「ええ」

「私もよ」

 

なんてことない会話だが、言葉が通じたのが素直に嬉しかった。どこから来たのか尋ねられ、日本からだと答える毎度おなじみのやりとりも嬉しかった。その会話があるだけで途端に良い一日だった。

 

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船はきっかり一時間でクルーズを終え、元の埠頭に戻った。途中左舷に見えた山肌には登山する人の姿が見えた。昨日会った韓国人が一緒に登らないかと誘ってくれたのはあのルートだったんだろうか。僕の装備では険しそうな山だったが、あそこからの眺めはさぞ良かったことだろう。彼の誘いに乗った次元の僕は、どんな景色を見たんだろうか。

 

下船する際に料金を払うシステムだった。僕が千ルーブル札を一枚渡すと、その若い船員は他の乗客の手の方へさっと移ってしまった。乗船料は500ルーブルだったはずだけれど……まあいいか。間違いなく千ルーブル分は楽しんだのだから。そう思って波止場からやや離れた市場の方へ向かうと、後ろから肩を叩かれた。振り返ると、その主はさっきの船員だ。お釣りの500ルーブルを片手に立っている。律儀な彼を一瞬でも疑った自分を恥じた。それを受け取り、流れるように契約の握手を交わした。

 

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高台から湖を見てみたくなった僕は、とりあえず上へ向かう坂道を登っていた。道端のところどころから白煙が上がっている。その匂いから察するに、湖で獲れた魚をそこで燻しているのだろう。市場で見かけた燻製の魚もここで作られているというわけだ。

 

高台にはキャンプ場がいくつかあって、木でできたテーブルと椅子が眺めの良い場所に置いてあった。そこに腰を下ろし、行き交う船をしばらく眺めたり、記憶が鮮やかなうちに、メモ帳に簡素な日記を書いたりした。この文章もそのメモ書きを頼りに書いている。そのメモによれば、僕は前日に買った木イチゴをそこで全て平らげたんだそうだ。

 

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高台に至ってからバスの出発時刻までをどう過ごしたかは記録にもないし、記憶にもない。高台からのパノラマ写真と乗り込んだバスの写真との間に、桟橋と船を写したなんでもない写真が一枚残っているだけだ。そして今、手元には角が取れて丸くなった、青いガラス瓶の破片がパスポート入れのポケットにある。おそらくはここで何の気なしに拾ったものだろう。バイカル湖から唯一持って帰ってきたお土産だ。