【一人旅】ロシア行きのフェリーに乗船する
2016年 8月6日(土)
ついに出発の日を迎えた。
事前に用意したのは日本を出るための切符と、シベリア鉄道のチケット、そして帰りの航空券くらいのもので、ヨーロッパに入ってからどう行動するかはまだ決めていない。どう最終目的地に至るか、予算の限りではあるが自由ということだ。
荷物は容量30リットルのバックパックが一つと、ボディバッグ、貴重品を詰めた旅行用のポーチ、それだけに留めた。季節は真夏。おかげで持っていく衣類は少なめで済んだのだ。適当なTシャツをいくつか丸めてぎゅう詰めにし、あとは長袖のシャツとジャケットを、バックパックの奥深くに忍ばせた程度だった。下着や靴下はそれぞれ5着ほど揃えておいたけれど、それは足りなくなれば現地で手に入れればいい。かばんの中では布と紙が最もかさばる。それら衣類と文庫本数冊を詰めると、バックパックはほとんどいっぱいになった。
特に意識して事前に新しく揃えた持ち物は、一般的なスマートフォンを最大7回はフル充電できるという化け物モバイルバッテリーと、コンセントの海外用変換プラグ、それにSIMフリーの激安スマートフォンだった。
僕のiPhoneは仕様上SIMロックを外すことができず、つまり海外では使えない状態だった。通信手段はWi-Fiに頼らざるを得ない。そこで、SIMフリーの安価なスマホを用意した。それに現地で手に入れたSIMカードを入れてテザリングしてやれば、普段使っているiPhoneを海外でもネットに繋げられるようになる。
ただそれだけの役割を果たしてくれればいい激安スマホだったのだが、ロシアではこいつが思いがけず活躍することになる。
旅立つにはまず、海の玄関口がある鳥取まで行かなくてはならない。僕の地元からは新幹線を使っても8時間かかるほど遠い。それだけで一つの旅行になりそうだ。
家からのルートを思索していると、父が「車で送る」と言い出した。母も同調した。僕を見送りたいらしい。そんな湿っぽいことしてくれなくてもいいよ、と思ったけれど、鳥取までの交通費が浮くのは正直ありがたい。それに考えてみれば、両親だって僕の見送りにかこつけて旅行をしたいのだろう。
鳥取県、境港にやってきた。家からは車でだいたい6時間ほど。鳥取の人たちの運転は道路標識通りといった感じの大変マナーのいいもので、それを家族で面白がった。僕らの地元は全国でも自動車の運転が荒いことで有名だ。
乗り込むフェリー内にもレストランはあるらしいが、できるだけ節約するために(それと栄養バランスを取るために)市街地のスーパーで食料品を買い込んでおいた。カップ麺をいくつか、ビスケット、即席のスープに紅茶、りんごなどそのまま食べられる果物、そしてサラミ。景気付けにアルコールもカゴに入れる。少なくとも今夜は食べるものに困らなさそうだ。
買い出しを済ませてから国際旅客ターミナルへ向かった。ここがフェリーへの窓口だ。閑散とした港の一角が、急に賑わっている。
ターミナル内に入ると、フェリーを待つ人々が窓口に大勢並んでいた。日本でありながら、あたりを飛び交う言葉には既に異国感が混じる。どうやらそれは韓国語らしい。韓国の船会社が運営するフェリーだ。日本を観光した韓国人旅行客がこのフェリーで一斉に帰るのだろう。飛行機とは違い船ならば手荷物の制限も無い。ほとんどの乗客たちが土産物でいっぱいらしき大きな袋を手にしていた。
これから同じ船に乗る乗客たちもさることながら、窓口の向こう側にも異国感が漂っていた。担当のお姉さんがどうやらロシア系の方だったのだ。恐る恐るフェリーの予約表をブロンドのお姉さんに手渡すと吟味され、無事にチケットは発券された。境港から東海(トンへ)、東海からウラジオストクの片道切符。このフェリーは途中韓国の東海港にも寄るのだ。
いよいよ乗船。何事もなく荷物検査をパスし通路をまっすぐ進むと、いきなりフェリーの乗船口だった。こういう階段を何て呼ぶんだっけ。タラップ?
脇に目をやると、仰々しいフェンスの向こうから父がこちらへカメラを向けている。母は手を振っている。僕も小さく手を振り返して、タラップを登り、あとは振り返らなかった。
船に乗り込み、まずは自分の居場所を確認する。 二等船室の二段ベッドスタイルの部屋だというが、果たして。
寝床に満足したところで甲板に出た。もしかしたらこれが自分の見る最後の日本の光景かもしれないのだ。
日が沈みかける頃、船は岸を離れ始めた。出航だ。船上のスピーカーから韓国の歌謡曲だろうか、明るくも物悲しい歌が流れ始め、汽笛が鳴る。速度が上がり、そのぶん風が強くなる。船に乗っている誰かを見送っているのだろう、船を追いかけて、一台の車が岸辺の道を走り、岬で止まると車内の全員が降りて、こちらへ向かって全身で手を振った。隣を向けば甲板に集まっていた乗客たちも皆、そちらへ向けて手を振っている。僕も乗じて振りかえす。なんだか泣きそうになってきた。僕は再び日本へ帰って来られるのだろうか。
日が暮れると吹き付ける風のせいもあり寒くなってきた。一旦船内に戻り、中を散策してみる。フェリーの中心となる二階部分にはインフォメーションセンターや免税店、バーなどが並び、先頭部にはレストランがあるらしい。三階はスイートルームなどの「良い部屋」と誰でも入浴可能な大浴場が占め、僕のベッドもある一階部分は船室のための領域になっていた。カラオケルームなどもあるらしいが、独り身の僕には甲板に出て、備え付けのベンチに座って過ごすのが一番楽しめそうだ。
出航してしばらくはたくさんの漁船の光が海を照らしていてそんな光景が珍しかったが、 それも見えなくなると、船が発する照明以外に光は星だけになった。その頃には腹も減っていたのでカップ麺で質素な夕飯にする。お湯は船内で貰えるので助かった。海風に当たりながら食べる温かいカップラーメンは最高に美味しかった。
ベンチの端に一人のおじさんが座る。その人もカップ麺を食べ始めたが、僕はそのおじさんが座るときに「よいしょ」と呟いたのを聞き逃さなかった。自分の他にも日本人がこの船に乗っているのだと思うと、少しだけ心が和らいだ。
夕飯も終え、特にすることも無いのでデッキ隅のベンチに陣取り、一人で酒を飲むことにした。ビン入りの、ウォッカベースの安い酒。つまみもなしにぐびぐび飲み、他に見るものも無いので上を向いて星空を眺めていると、背後から声がした。僕を呼んでいるようだ。振り向くとデッキの中央には同じく酒盛りをしている一団が居て、その中の女の子が一人、僕に向かって手を伸ばしている。手のひらにはナッツのお菓子が乗っかっている。
「貰っていいの?」
「どうぞ」
僕がたどたどしい英語を絞り出して聞くと、流暢な答えが返ってきた。
「……どれくらい貰っちゃっていいの?」
「全部でも。好きなだけいいよ」
そう言われたが僕は遠慮して、数粒を自分の手に移し、酒のつまみにした。暗くてお互いに姿がよく見えなかったから、きっと一人酒をあおる僕もいい感じに見えていたのだろう。
ほんの些細な一件だったけれど、これで僕は自信がついた。この旅はきっと大丈夫だ。そう思った。
大浴場ときたらひどいもんで、お湯がほとんど入っていなかった。お風呂自体はヒノキ造りで立派なのに。まあ仕方がない、海風でべたついた身体をシャワーで流し、すぐにベッドに潜り込んだ。スマートフォンの表示は既に圏外だった。